「私は昼間の君は知らないからね」
少しだけ拗ねたようにドラルクが言った。
スプーンで掬った最後のオムライスを大口開けて食べようとしたロナルドは、その言葉に動きを止める。
「なんだよ。突然」
「言葉の通りさ。私は昼間の君を知らない。当然だろう。吸血鬼は夜に生きるものなんだから」
「まあそうだけど」
「だから、見てみたいなって思っただけだよ」
シンクの水を止めて手を拭いたドラルクは、キッチンからダイニングテーブルへと移動した。ロナルドと同じようにオムライスを食べていたジョンが「ヌー!」と鳴くと、口元についたケチャップを拭う。
「見たいって、お前昼は出れねえじゃん」
「うん。そうだな」
「あ、でも砂で瓶詰めとかなら、いける?」
「やったことないけど、多分瓶の中で死ぬだろうな。復活できなさそう」
「じゃあ駄目じゃん!」
「写真でもいいよ」
頬杖をついてそう提案するドラルクの顔は楽しそうで、ロナルドはひとまずスプーンの上のオムライスを頬張った。お店みたいなふわとろオムライスじゃなくて、レトロな包むタイプのオムライスはロナルドの好物の一つだ。
今日だけではない、大体いつも好きなものが食卓に出てくる。食事だけでなく、原稿中のおやつや、欲しいタイミングで手渡される資料だったり、退治人仕事でヘトヘトになって帰ってきたあとに準備されている風呂だったり。あとは、触れたいと思ったときに触れてくれる体温だったり。
スプーンを咥えたまま、昨夜の事を思い出してしまったロナルドは掻き消すようにフルフルと頭を振ると、改めてドラルクへと視線を向けた。
「写真でもいいなら、今度送ってやるよ」
「やった。ありがとうロナルドくん。愛してるよ」
「んぐっ?!」
「喉につまらせるなよ、五歳児」
差し出された麦茶のグラスを奪うようにしてグイッと飲んだあと、ロナルドは顔を真っ赤にする。
「おっまえまじでいいかげんにしろよ!」
「勝手に喉につまらせたんじゃないか。それとも、なんかやらしいこと想像してたの?」
「殺した」
ドゴッときれいな右ストレートをドラルクに炸裂させ、空になった皿を前に手を合わせて「ごちそうさま」と言うとそれを持ってキッチンに向かう。
「君、ほんと口より先に手が出るのやめなさいよ」
「うっせ!」
「もう慣れたからいいけど。それで?今日はどうするんだい?」
「なにが?」
食器を洗い水切りかごに置きながら首を傾げれば、ドラルクは再び頬杖をついた姿勢でロナルドを見つめた。
「吸血鬼が、快楽を与えてあげるって言ってるんだよ。若造」
チロリと覗いた赤く長い舌に、ロナルドは昨夜の事を再び思い出してしまい腹の奥がジンと痺れるような気がした。
********
「じゃあこれで私達は帰ります。また何かあればご連絡を」
「吸対さんも、退治人さんもこんな遠くまでありがとうございました」
「いえ、気にしないでください」
ヒナイチの隣でロナルドも家主に頭を下げる。
朝方突然ヒナイチから「少し手伝ってくれないか」と依頼を受けた。山の方にある市民の家で下等吸血鬼のようなものがいるらしいと吸対に連絡があったらしい。調査でヒナイチだけが向かう予定だったが、一応念のためとロナルドに個人的に声がかかった。
ギルドを通さないといけないという決まりもなかったし、相手がヒナイチだったこともあってロナルドは二つ返事でそれを引き受けた。夜明けギリギリまでドラルクに良いようにされていたが、体力に関しては自信があるロナルドにとってそこはあまり問題ではなかった。多少尻と下腹部に違和感があるくらいだ。
結局のところ、やはり下等吸血鬼が民家の屋根に小さな巣を作っており、ロナルドが持ってきていたメドキ特製の駆除剤でなんとかなった。
依頼人にと別れた後、二人はロナルドの運転で新横浜へと帰っていた。
「助かった。ありがとうロナルド」
「気にすんなって。大事じゃなくてよかったぜ」
「そうだな。でも、車もだしてもらって悪かったな」
「たまに運転しないと感覚鈍るからちょうどよかったよ」
山道を下り、しばらく経った頃、ふと視界の隅に気になるものを見つけてロナルドは小さく声を上げた。
「どうした?」
「ヒナイチ。ちょっと寄り道してもいいか?」
「ああ…なんだ?」
「うーん、いうなれば、夏の思い出?」
「は?」
どこか楽しそうに笑ったロナルドがハンドルを切り、少し車を走らせた後にたどり着いたのはひまわり畑だった。まだ丈は低いが、ざっと50から60メートルほどの長さのひまわりの大群に、ヒナイチはキラキラと目を輝かせる。
「すごいな!これ!」
「な、さっき一瞬目に入ってさ。私有地だろうから中には入れないけど、ここから見るくらいはいいだろ」
「入ったら私は一応公務員として然るべき対応をしないといけないからな……」
「だろ。だから見るだけ。でもすごいよな」
「ああ」
ヒナイチの身長くらいのひまわりの大群にロナルドは眩しそうに目を細めると、「あ」と再び声を上げた。
「今度は何だ?」
「ヒナイチ、ちょっと手伝ってくんね?」
にっこりと楽しげに笑ったロナルドに、ヒナイチは首を傾げた。
********
吸血鬼は夜に生きるもの。
つまりは昼間は寝ているのである。
しかし、棺桶で眠るドラルクの頭元に置かれた携帯はそんなことは気にせずにバイブ音を響かせた。
「……誰だ、こんな時間に…」
珍しく低い声で唸りつつスマホの画面をみると、そこには昨夜から夜明け直前まで一緒にいたはずの恋人の名前。しかも珍しくビデオ通話だ。電話をしてくるということは、少なくとも家にはいない。どこかにでかけたのだろうと考えるも、体力マジでゴリラだな、と思いつつこちらのカメラはオフ状態のままで通話ボタンを押した。
しかしこんな時間に叩き起こすなんて、文句の一つでも言ってやろうとしたドラルクは、小さな画面に映された映像に思わず息を飲んだ。
それは、青空の下、ひまわりを背負った赤だった。
『お、ドラ公。起きたか?』
画面の向こうでロナルドが笑う。
『おーい?あれ?カメラオフだけど繋がってるよな?』
「…聞こえてる。何してるんだ、若造」
『あ、よかった。いや。だって昨日お前言ってたじゃん』
「なにが?」
『昼間の俺、見たいって』
「!」
ああ本当に、ロナルドという男はどこまで善しか持っていない男なのか、とドラルクはため息をつく。
ドラルクとしては、いつもの他愛ない会話のつもりだった。ああ言ったらロナルドはどんな反応をするのだろうかと、ちょっと楽しんでいただけだったのだ。しかし、別に全部が全部そうだったわけではない。確かに昼間の空の下でロナルドを見たいと思ったのは本当だ。だけどそれを願いとして伝えたところで、ロナルドが素直にそれを了承するとも思ってなかった。
なのに、ロナルドという男はいとも簡単にドラルクの予想を超えてくる。
まさかこんな、理想形のような画面を見せてくるだなんて、思ってもいなかった。
『だから写真じゃなくて、こっちのがいいかなって……聞いてる?ドラ公?」
「聞いてる……ところで、画角から考えるに、今誰かといるんだろう?誰だい?」
『え?ああ、ヒナイチだよ。ちょっと頼まれ事で一緒にいる』
「ヒナイチくん?」
聞き慣れた友人の名前にドラルクが少しだけ安心したような声を出すと、画面が動いてヒナイチが顔を出した。
『すまない、ドラルク。ちょっとロナルドを朝から借りていた』
「ああ、気にしなくていいよ。ヒナイチくん。ちょっと私寝起きだから、このままカメラはオフで許してくれたまえ」
『こんな時間、お前たちは普通寝ているだろう。こちらこそすまない』
「どうせ電話するといったのは若造だろう。ヒナイチくんが謝ることじゃない」
『ああ、ちなみに私はいまから見ざる聞かざるだからな!』
ヒナイチがそう言うと、再び画面がロナルドへと移動した。
青い空。背後に見事な黄色いひまわり。そしてその前に立つ赤いジャケットを羽織った綺麗な恋人。
『ドラ公。ひまわり綺麗だろ』
画面越しでも、あの昼空の瞳がキラキラと光っているのがわかる。直接浴びていなくても、この光で溶けてしまいそうな感覚だと、ドラルクは目を細めた。
「ああ、綺麗だね」
『なぁ、こうすれば、お前にも昼を見せられるんだな』
ああなんで自分は昼に生きられないのだろう、と。
ドラルクは少しだけ己の事を疎ましく思った。
けれども、吸血鬼でなければ出会うこともなかっただろうし、自分が昼に生きられないからこの眩しい光景を見ていられるのも事実で。
ロナルドと自分が生きる世界が違うのだと、改めて実感させられているような気がした。
しかし、彼がドラルクを選んでくれたことも紛れもない事実。すぐに手が出て、泣き虫で、甘え下手で、甘ったれな恋人を手放すようなことは考えたくないとゆるく首を振った。
「……見ざる聞かざるのヒナイチくん」
『…なんだ?』
「ひとつ、お願いがあるんだが」
ロナルドに聞こえないように小さな声で電話越しに告げた言葉に、ヒナイチは二つ返事で答えた。
その後、ドラルクのスマホ画面がひまわり畑を背景に笑うロナルドの写真になり、気づいたロナルドが真っ赤になって大騒ぎすることになるが、それは別のお話。