思い知れ

事務所を出て歩き出す。
今日は仕事じゃない。だからいつもの赤い服ではなく、ラフなボーダーのTシャツと緩めのデニムにスニーカー。
たまたますれ違ったショットにお疲れと手を上げて、目指す場所まで歩く。
夜も更けて、もう少しで日付が変わるだろうという時間帯。スマホの画面で時間を確認して、少しだけルートを変えた。この時間になると車も少なくなる。さっきまで雨が降っていたから、少しだけ湿り気のある風が肌を撫でた。
バスターミナルの一角にある喫煙所へと足を進めると、ポケットからタバコとライターを取り出して一本咥えた。ラスト一本。箱を握りつぶすとポケットに突っ込む。
火をつけて吸い込んで、吐き出す。メンソールの味が口の中に広がった。肺に吸い込んだ煙が染み込む感覚が少しだけ心地いい。
ふわりと漂った煙が顔を直撃して、片目を瞑る。
指で挟むように持って再び口元に当てた時、ピロンとポケットの中のスマホが通知音を鳴らした。
取り出して、届いたメッセージを確認してまだ半分以上あるタバコを灰皿に放り込んだ。
階段をのぼり、駅のビルに入る。
『ロナルドくん』
聞きなれた声と、姿があった。歩く速さは変えずに近づく。
「迎えにこいってなんだよ、クソ砂」
『だってこの荷物もって歩くのやだもーん』
「もーん、じゃねぇわザコ。…ジョーン!おかえりー!」
「ヌー!」
ドラ公の腕に抱かれて元気に答えてくれたジョンの頭を指で撫でる。そしてそのままドラ公の手から荷物を取り上げた。
「重くねえじゃん」
『ゴリラとか弱いドラちゃんの腕力を同等に考えるな』
「まじでクソザコ。おら、帰んぞ」
荷物を肩に担ぐように持って背中を向けると、ドラ公が不思議そうな顔をしているのが見えた。
「なんだよ」
『いや、なんでもない。帰ろうか、ジョン』
先程通ってきたルートとは違うルートで事務所へと足を向ける。ギルドのメンツのパトロールは終わったのか、誰も見かけなかった。
ビルの階段を昇るドラ公はどこか楽しそうで、トントンとリズミカルに足音が廊下に響く。事務所の扉を開けてメビヤツを帽子ごと頭を撫でから、先に玄関に向かったドラ公に続いて居住スペースへと足を向けた。
持っていた荷物をテーブルに置くと、不意にドラ公が近づいてきた。
「なんだよ」
『…君、タバコ吸った?』
「あー、…まあ、お前いなかったし」
『ふぅん…』
片眉を上げて怪訝そうな顔をしたまま、ドラ公はするりと背中を向ける。
「なんだよ」
『べっつにー』
「別にって顔じゃねえだろ」
エプロンを手にしたドラ公の肩を掴むと、こちらを向いた三白眼がじろりと睨む。そんなにタバコの匂いが残っていたのかと手を離した。
『タバコなんて吸うんじゃない』
「…別にいいだろ。お前に迷惑かけてねぇじゃん」
『迷惑だよ。折角一週間ぶりに会えたのに、キスもさせてくれないなんて』
拗ねたような物言いの後、ドラ公は背中を向けてエプロンを付けながらキッチンに向かう。
その言葉に、正直驚いた。腕を上げた体勢のまま、ドラ公の言葉を反芻する。
キスもさせてくれないなんて。
そういった。確かにコイツいまそう言ったよな。
ぐ、と拳を握ると、キッチンで冷蔵庫を開けたドラ公の手首を掴んで引っ張った。そのままこちらを向かせると、腰を抱いて固定する。
『?!な、にするんだ?!いきなり!』
「タバコ吸った」
『知っとるわ!ヤニ臭い!』
「お前がいなかったから」
『だから』
「お前がいなくて、寂しかったから」
『………………………は?』
「お前がいる時は、吸おうなんて思わなかったのに。出かけて、直ぐに寂しくなったから、吸った」
『……な……んだ、それ』
「寂しかったのは、お前だけじゃねえぞ、ドラ公」
顔を近づけて鼻先を合わせると、ドラ公の耳が少しだけ砂になる。
「キスしてやるから、思い知れ。俺の寂しさ」
そう言って、べえ、と舌を出すと、そのまま目を丸くしたドラ公にキスをした。